2015/01/04

死体

 


とくに理由はないけれど、死体の写真がきらいだ。
死をけがらわしいものとしてそう考えているわけではないが、何らかを表す手段である写真の被写体としてそれを選ぶという行為が、なんとなくゆるせないのだ。
存在していたものの証、生命の儚さ、そういったものを死した肉を前にシャッターをきって写真にする偉大な写真家は、おそらくこれまでにも存在したであろうし、ひとりではないだろうと思う。それをモチーフとして捉えずにいられない芸術家も存在したかも知れない。
一昨年いった写真展でも全紙ほどのサイズで、雪上に散らばる血液を写した作品があった。わたしは悪い意味で鳥肌が立った。晒し者のようだと感じたからだ。

写真は自由である。
だからこそ、わたしの意見なんて世界から見たらちっぽけで埃すらの存在感もないけれども、今日考えていたことの一つとして、ここに記しておく。




0 件のコメント:

コメントを投稿