一日にひとりで静かに過ごす時間がかならず要る。
2015/01/27
2015/01/25
優しさの日
前の前の年に友達と温泉旅行へ行った。サプライズでケーキが運ばれてきて、とてもびっくりしたのを覚えてる。内緒で準備してくれてうれしかったなあ。自分がしてもらってうれしかったこと、忘れたくないなあ。そして、今日は別の友達何人かからあたたかい言葉をたくさんもらった。タイミングが重なる不思議な一日だった。というかなんでみんなそんなに優しいのだろう。わたしは周りに何を返せるだろう。近頃は貰ってばかりだな。
2015/01/24
2015/01/23
2015/01/22
2015/01/20
2015/01/18
2015/01/17
2015/01/15
2015/01/14
重い思い
恋愛をしていると、たとえきもちが通い合っていたとしても、自分の愛情の大きさに潰れそうになることがある。感情は目に見えないから確信がもてないことが多くて不安になるし、相手は重くないだろうか、と案じる日々である。
2015/01/13
2015/01/12
2015/01/11
2015/01/09
2015/01/08
2015/01/06
2015/01/05
2015/01/04
死体
とくに理由はないけれど、死体の写真がきらいだ。
死をけがらわしいものとしてそう考えているわけではないが、何らかを表す手段である写真の被写体としてそれを選ぶという行為が、なんとなくゆるせないのだ。
存在していたものの証、生命の儚さ、そういったものを死した肉を前にシャッターをきって写真にする偉大な写真家は、おそらくこれまでにも存在したであろうし、ひとりではないだろうと思う。それをモチーフとして捉えずにいられない芸術家も存在したかも知れない。
一昨年いった写真展でも全紙ほどのサイズで、雪上に散らばる血液を写した作品があった。わたしは悪い意味で鳥肌が立った。晒し者のようだと感じたからだ。
写真は自由である。
だからこそ、わたしの意見なんて世界から見たらちっぽけで埃すらの存在感もないけれども、今日考えていたことの一つとして、ここに記しておく。
地元
わたしの海。
わたしの思い出の海。
高校時代、放課後、部活がないときは
友達とこの砂浜まで来て、恋バナなどにはなを咲かせたり。
失恋したときもひとりでやってきては水平線を眺めて、ぼーっとしたり。
何歳になっても特別な場所。
2015/01/01
1230
年末。23時半という遅い時間に親友と待ち合わせして、実家に連れて帰った。
父母はすでにできあがっていたが、さらにその時間から飲み直すことになった。
カニすきを囲んで、家族と、親友とお酒を飲む。
すごーく不思議な光景だったけど、なんだかうれしかった。
2013
photo by talow
去年の振り返り。
年明けから身の周りで激動。
人生初のスノーボードしたり、温泉入ったり、とそれなりに楽しく過ごす。
春から梅雨前までは色んな意味でごちゃごちゃしてたなー。
6月2日が自分のなかで大きな分岐点だった。今の彼氏と初めて出会った日。
それまで退屈だったり、落ち込んだり、なにかが足りないような気分になることもあったけど、その日を境に色んな事が変わり始める。そんなわけで、夏からはいままでの停滞感が嘘のように幸せな時間を過ごした。たくさん出掛けたし、たくさん写真を撮った。憧れの写真を撮る人が、いまや自分の写真を写してくれる現実が不思議だったけど、幸せだなあって思った。
秋は仕事の悩みが絶えなくなった。思うようにいかなくて苦心したり、いらいらしたり。正直、社会人になって最もつらい繁忙期だったように思う。仕事の楽しさややり甲斐を見失ってしまった。
しかし、プライベートでは彼氏や友達がいてくれて楽しかった。親友を真正面から親友と呼べるようになり、相手からも親友と呼ばれるようになって、そのことが実はとても嬉しかった。
思い返せば、雨の多い高知に来てくれたことがなにかのきっかけであったように感じる。2カ月に1度は会うようになった。定期的に彼女の写真を撮れるようになってうれしい。
総じて、仕事はうまくいかなかったけれども、対人関係は深まった年だった気がする。新年も、周りを大切にしていきたい。
そして、今までは何があっても歯をくいしばる事しか知らなかった自分の環境を、2015年こそ見直したい。
そして、今までは何があっても歯をくいしばる事しか知らなかった自分の環境を、2015年こそ見直したい。
登録:
投稿 (Atom)