2015/01/09

撮られる喜び




わたしが生きている時間を切り抜いてくれるのが君でよかった。




2015/01/08

7ヶ月目に思うこと




自分がいい写真撮れたなー、と思うよりも、最近は自分にカメラを向けた彼氏が楽しそうにシャッターをきっている時が一番嬉しいかもしれない。そう感じた1月8日。
あっという間に付き合いだしてから7ヶ月経った。
いつもありがとう。



まだら




再会した嬉しさでお酒を勢いよく飲み干したら、おなかに赤いまだら模様が出てきた1月6日の晩。



2015/01/06

200







東京は雨が降ってて寒いからカイロ200個貼ってこい、っていうやさしさに癒される朝。





むだ




昨日、部下の指導をしていて、あまりにも同じミスを連続するので、こちらの伝え方に問題があるのではなかろうかと振り返ったのち、本人に問題点の洗い出しをさせてみた。
まず問題点がわかっていなかった。
それどころか叱られた事も、なぜ叱られ、なにが原因だったか、まったく把握出来ていなかった。愕然とした。
人間誰だってミスはするが、改善の努力すらしないなら教える意味がない。
まず忘れないようにメモをとる習慣をつけてはどうかとアドバイスしたが、自分で考えようとしない人間にはなに言っても無駄なんじゃないかなという気がする。




2015/01/05

今年の正月を経て




実家に帰りたい。
残りの人生、年老いてゆく両親、
ペットと離れて暮らす時間の方が、断然長くなるであろう。
欲を言えばもう少しだけ、家族と過ごす時間をもちたいなあ。




2015/01/04

死体

 


とくに理由はないけれど、死体の写真がきらいだ。
死をけがらわしいものとしてそう考えているわけではないが、何らかを表す手段である写真の被写体としてそれを選ぶという行為が、なんとなくゆるせないのだ。
存在していたものの証、生命の儚さ、そういったものを死した肉を前にシャッターをきって写真にする偉大な写真家は、おそらくこれまでにも存在したであろうし、ひとりではないだろうと思う。それをモチーフとして捉えずにいられない芸術家も存在したかも知れない。
一昨年いった写真展でも全紙ほどのサイズで、雪上に散らばる血液を写した作品があった。わたしは悪い意味で鳥肌が立った。晒し者のようだと感じたからだ。

写真は自由である。
だからこそ、わたしの意見なんて世界から見たらちっぽけで埃すらの存在感もないけれども、今日考えていたことの一つとして、ここに記しておく。